国立循環器病研究センター

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循環器病対策情報センター ニュースレター vol.11(2026.6.10)

 

医療情報発信の変遷と課題   インフォデミックと向き合った15年から考える未来
〜株式会社GENOVA取締役執行役員、横浜市立大学 研究・産学連携推進センター 特任教授 井上 祥先生のご講演を拝聴して〜



1)医療におけるインフォデミックの課題と対策を教えてください

医療情報発信の過去15年の変遷と検索環境の課題

インターネットが普及した2000年代後半から2010年代前半にかけて、医療情報の検索環境には大きな課題がありました。たとえば「糖尿病」に関する月間検索数は非常に多く、ユーザーは多岐にわたる疑問や不安を抱えて検索を行っていましたが、検索上位に表示されるのは「Yahoo!知恵袋」のようなQAサイトや(その中には不正確な回答も含まれています)や「NAVERまとめ」などのキュレーションサイトでした。2016年には不正確な医療情報が大量に公開されていた「WELQ騒動」が発生し、社会問題となりました。2009年に国立がん研究センターの後藤悌先生らのデータでは、日本で「肺がん」と検索して正しい情報にヒットする確率はわずか50%であり、10%は代替療法の広告が表示されていたのに対し、米国では80%の確率で正しい情報に出会えるという日米間の情報の質の格差も指摘されていました。

インフォデミックという新たな脅威と構造的課題

近年、大量の情報が社会に影響を及ぼし、悪意のあるデマだけでなく善意の投稿であっても社会を混乱させる「インフォデミック(Information + Epidemic)」が深刻化しています。世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長が「フェイクニュースはこのウイルス(新型コロナ)よりも速く、簡単に拡散し、同じくらい危険である」と警告したように、その拡散力は強大です。テドロス事務局長がこれを強調したのは2020年ですが、それより前の熊本地震の際にも「動物園からライオンが逃げた」というデマによる業務妨害や、効果が不明確な「血液クレンジング」がSNSから国会追及に至るまで拡散した事例は2019年に発生しました。コロナ以前からインフォデミックは起きていたのです。 この背景には、SNS上で自分と似た意見ばかりが反響して強化される「エコーチェンバー」や、アルゴリズムによって自分の価値観に合う情報ばかりが表示され、異なる意見から隔離される「フィルターバブル」といった構造的な課題が存在します。今日では、情報は単なる知識ではなく、健康格差を生む「健康の社会的決定要因(SDH:Social Determinants of Health)」の一つとして認識されています。

インフォデミックへの対策とインフォデミオロジー

こうした課題への対策として、情報の流れを疫学的に分析し公衆衛生に活かす「インフォデミオロジー(Infodemiology)」というアプローチが注目されています。検索行動やSNSの投稿などを分析することで、人々の関心や不安を把握し、誤情報の早期発見やインフォデミック対策、政策立案に役立てる考え方です。また、WHOはインフォデミックマネジメントのフレームワークとして、「1. 情報の監視と偽情報の特定(モニタリングと探知)」「2. 複雑な科学のわかりやすい解説(科学の翻訳)」「3. 信頼の構築とコミュニティとの対話(コミュニケーションと関与)」「4. 誤情報の緩和と社会の免疫力向上(ヘルスリテラシー)」の4つの柱を提唱し、コミュニティの信頼を土台とした対策を推進しています。インフォデミオロジーという概念が初めて出たのは2002年のことでしたが、コロナ以降のインフォデミックマネジメントで、ますます注目されています。

 

2)エビデンスとナラティブを組み合わせた情報発信とは何ですか

絶え間なく進化するエビデンスと「届かない」という課題

医療現場では、日本医療機能評価機構(Minds)などを通じて診療ガイドラインの整備が進められています。近年は医学の急速な進歩に伴い、ガイドラインの更新サイクルを劇的に短縮する「Living Evidence(リビング・エビデンス)」の手法が世界で取り入れられており、オーストラリアの脳卒中ガイドラインでは改訂期間が7年から3ヶ月未満に、新型コロナウイルス感染症では中央値20日という驚異的なスピードでエビデンスが更新されるようになりました。しかし一方で、国立大学付属病院の多くが赤字に苦しむなど、日本国内におけるエビデンス創出の現場は資金面・リソース面での危機に直面しています。 さらに大きな問題は、「最高のエビデンスがあっても、社会に届かなければ意味がない」という事実です。

ファクトだけでは人は動かない

医学的な真実(Fact/データ)を提示するだけでは、人々の行動(Human Behavior)を変えることはできません。たとえ正しい科学的データであっても、それが人々の深く根付いた信念や恐怖心と対立する場合、データは拒絶されてしまうからです。

エビデンス(Logos)とナラティブ(Pathos)の融合による社会実装

この課題を乗り越えるための次世代の医療コミュニケーションが、普遍的な最適解である「科学的根拠(Evidence/Logos)」と、受け手個人の文脈やストーリーである「物語(Narrative/Pathos)」の融合です。情報をただ「提示」するのではなく、人々の心に「届ける」ためのコミュニケーションにおいては、ストーリーを用いることが大変有用であるとされています。エビデンスという冷たい事実に対し、生活者個人のナラティブという感情や文脈を掛け合わせることで、初めて人々の「行動変容」が促され、医療の「社会実装(Implementation)」が実現します。

 

3)信頼できる医療情報を社会に届けるための工夫を知りたい

信頼できる情報を社会に実装するためには、クリエイティブの力やテクノロジー、そして新たなパラダイムを活用した多角的な「工夫」が必要です。

届け方のクリエイティブな工夫(タッチポイントの創出)
  • ストリートメディカル®(旧:広告医学): 階段に水族館のような美しいアートを施すことで、人々に自然な形で階段の利用(歩行)を促すなど、クリエイティブやデザインの力を使って生活の中に医療・健康的な行動をデザインするアプローチです。
  • 医療マンガ大賞: 横浜市医療局が主導する取り組みで、医療従事者視点と患者視点の双方から生じるすれ違いやエピソードを、親しみやすい「マンガ」という形式で表現し、相互理解と適切な医療行動を啓発しています。
  • インフォグラフィックとゲーミフィケーション: ワクチンの有効性や脳卒中克服へのロードマップといった複雑な医療情報を、視覚的にわかりやすいインフォグラフィックにまとめて伝達します。また、人気位置情報ゲーム『Pokémon GO』内に現実のAED設置箇所を「ポケストップ」として登場させ、遊びを通じて命に関わる情報へのタッチポイント(接点)を作る工夫も行われています。
患者参画(IPE:Integrated Patient Engagement)へのパラダイムシフト

情報発信や医療開発のプロセスにおいて、患者を単なる「治療を受ける人」ではなく「ともに医療をつくる主体」として捉え直す工夫です。もともとはサノフィ社が製薬プロセスの中で研究テーマの設定から、臨床試験のデザイン、デバイス設計までを一連の流れで考えるというアプローチでしたがそれを患者中心にあらゆる医療のタッチポイントを整理しなおし、患者支援プログラム、そして共同意思決定(SDM:Shared Decision Making)に至るまで、すべてのプロセスに患者中心を組み込みめると考えています。患者のために考える(for patients)から、患者と共に進める(with patients)へと転換することで、真にわかりやすく寄り添った情報提供が可能になります。

■ AI時代のゼロクリック問題と「Publish Once, Distribute Everywhere」

生成AIの浸透により、ユーザーが検索結果のリンクをクリックせず、AIの要約だけで情報収集を完結させてしまう「ゼロクリック問題」が発生し、従来型メディアはビジネスモデルの危機に直面しています。一方で、AIが自動で処方更新を支援するような次世代の取り組みも始まっています。 このような時代において、米国のメイヨークリニックやクリーブランドクリニックといった世界のトップ病院は、「Publish Once, Distribute Everywhere(一度作成した良質なコンテンツをあらゆる場所で配信する)」という戦略をとっています57more_horiz。独自のオウンドメディアだけでなく、YouTube、X、Instagram、Facebookなど、ユーザーが存在するあらゆるプラットフォームへ最適化して展開する工夫です。

医療機関自らが「AI時代の信頼インフラ」となる

これからのAI時代においては、単純な検索エンジン対策(SEO)は価値が薄れていきます。代わりに重要になるのが、インターネット上には存在しない「臨床の暗黙知」や「リアルな情報」を医療機関自身が積極的に発信することです。病院が信頼性の高い一次情報を発信すれば、AIはそれを正しい情報ソースとして学習し、社会へ増幅させます。つまり、情報発信を外部のメディア任せにするのではなく、医療機関そのものがAI時代の「信頼のインフラ」としての役割を担うことが、適切な医療情報を社会に届けるための究極の対策であり、未来の医療機関に求められる新たな役割(Media機能)であると結論づけられています。

 

最終更新日:2026年06月10日

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