分子病態部
研究活動の概要

 血液は流動性を維持しながら全身を循環し、出血時には即座に凝固して失血を防ぐという、相反する機能を巧みに調節している。この血流維持と止血のバランスを適切に制御するため、血液や血管には多様な調節機構が備わっている。しかし、流動性を維持する機能が低下したり、凝固反応が過剰に進行したりすると血栓性疾患を引き起こし、逆に凝固機能が低下すると出血性疾患につながる。当部では、血栓症や出血症に関わる物質や現象の謎を解明し、診断・治療・予防に貢献することを目指している。そのため、血漿タンパク質、血小板、血管内皮細胞などを研究対象とし、分子レベルから個体レベルに至るまで多角的なアプローチを用いて研究を進めている。

【血小板が主役となる止血・血栓形成に関する研究】
 止血反応の初期には、血小板の血管壁への粘着とその後の血小板凝集が起こる。この過程の調節には、血漿タンパク質von Willebrand因子(VWF)と、その切断酵素ADAMTS13が重要な役割を果たす。VWFが不足するとvon Willebrand病などの出血性疾患を引き起こし、逆にADAMTS13が不足すると血栓性血小板減少性紫斑病などの血栓性疾患を発症する。当部では、患者の遺伝子解析、タンパク質の構造・機能解析、細胞機能解析、遺伝子改変マウスを用いた解析を通じて、VWF–ADAMTS13系が関与する生命現象の解明に取り組んでいる。また、得られた知見をもとに、臨床医学への直接的な貢献を目指している。

【凝固因子が主役となる血栓形成に関する研究】
 血液が迅速に凝固できるよう、血漿には多くの凝固タンパク質が存在し、これらは爆発的なスピードで活性化し、フィブリン網を形成する。しかし、この凝固反応が本来起こるべきでない場所で発生すると、心筋梗塞や脳梗塞などの深刻な疾患の原因となる。そのため、血液には凝固反応を制御する仕組みが備わっており、その代表例がアンチトロンビン・プロテインC・プロテインSである。これらの機能が低下すると、静脈血栓塞栓症のリスクが高まる。当部では、遺伝子解析、タンパク質の構造・機能解析、細胞機能解析、遺伝子改変マウスを用いた解析を通じて、凝固制御の精緻なメカニズムの解明を目指している。また、これらの研究成果を基に、新たな診断法の開発にも取り組んでいる。

【細胞機能に関する研究】
 血液凝固と抗凝固のバランスを維持する上で、血管内皮細胞の役割は極めて重要である。血管内皮細胞が機能障害を起こすと、特定の因子の発現が誘導される。その一つとして、我々が発見したHerpは、小胞体ストレスに鋭敏に応答する膜タンパク質である。小胞体ストレスは、虚血、動脈硬化、糖尿病などの循環器疾患においても観察される現象であり、HerpはDerlin群とともに、小胞体関連タンパク質分解(ERAD)の主要な構成因子として機能する。当部では、ERADの生理的意義の解明を目指し、その分子メカニズムの研究を進めている。
 また、白血球は免疫系の中心的な役割を担い、異物の排除や感染防御に関与する多様な細胞群から構成される。その中でも、好中球や好酸球などの顆粒球は、細胞死を介して炎症反応を制御し、血栓形成にも関与する。好酸球は、感染防御やアレルギー応答に関与する白血球の一種であり、その細胞死の過程は免疫機能に重要な影響を与える。我々は、好酸球のプログラムされた細胞死(EETosis)において、細胞外に放出される顆粒が時間経過とともに特異的な自家蛍光を示すことを発見した。現在、好中球の細胞死(NETosis)との比較を通じて、EETosisが血栓形成に及ぼす影響を解析している。

2024年の主な研究成果

血栓性血小板減少性紫斑病(TTP)に関する研究
 これまでの研究に引き続き、先天性TTP患者のADAMTS13遺伝子解析を行い、国内外で未報告のバリアントを複数同定するとともに、診断のサポートを実施した。特に、ある患者ではADAMTS13遺伝子全長を超える大規模な欠失の可能性が示唆された。この候補をさらに精査するため、サンガー法およびNanopore技術を用いたロングリードシーケンシング解析を行い、ADAMTS13遺伝子の全長欠失の高い可能性を確認した。その後、デジタルPCRを用いた欠失のブレイクポイント解析を開始した。
 また、先天性TTPのように責任遺伝子が明確な遺伝性疾患の解析に適したPCRベースのロングリードシーケンシング法において、ドライ解析手法の検証と新たなソフトウェア開発を進めた。昨年度までに構築した解析環境を用い、候補バリアント解析ソフトウェアLongshotおよびClair3を用いたバリアントコールおよびフェージング(ハプロタイピングの一種)を実施した。しかし、サンガー法による検証の結果、これらのソフトウェアでは誤った解析結果が含まれることが明らかになった。その原因は、アレル間の不均衡増幅やキメラ生成などPCR特有の現象によるものであり、既存のソフトウェアがこれらの要因を考慮していないため誤りが生じていた。この問題を解決するため、PCR産物に特化したフェージング解析ソフトウェアの開発が必要であると考え、バイオインフォマティクス専門家である病態ゲノム医学部・髙橋部長との共同開発を進めた。その結果、様々なPCR産物に対応可能な世界初のソフトウェアの開発に成功し、先天性TTP患者のデータ解析に適用したところ、高精度な解析結果が得られることを実証した。現在、患者ゲノムでの解析結果を含めた新しいソフトウェアの開発に関する論文を投稿準備中である。

von Willebrand因子(VWF)に関する研究
 後天性von Willebrand症候群(AVWS)の病態解析には、超高分子量タンパク質VWFマルチマーの動態を正確に分析することが不可欠である。そこで、東北大学および奈良県立医科大学と協同し、VWFマルチマー解析法の標準化を進めた。この標準化された方法を用い、臨床検体の解析を実施し、得られたデータを論文としてまとめた。その結果、今年度、2報目の原著論文が国際誌に受理された。
 先天性von Willebrand病(VWD)の原因バリアントの同定は、確定診断・分類・病態解明において重要な役割を果たす。しかし、VWF遺伝子はサイズが大きく、偽遺伝子や繰り返し配列を含むため、サンガー法やNGS(次世代シーケンシング)による解析が困難である。その結果、遺伝子解析が実施されない、または実施しても結果が得られない症例が多く存在する。これらの課題を克服するため、ロングリードシーケンシング法を用いたVWF遺伝子解析法の構築に取り組んだ。この手法は、従来の解析手法に比べて、大規模構造バリアントや繰り返し配列領域の解析に優れることが知られており、臨床的にも大きな意義を持つ。そこで、先天性TTP患者の解析で培った技術と経験を活かし、PCRベースのロングリードシーケンシング法をVWF遺伝子解析に適用し、その方法論をまとめた論文を投稿した。今後、この解析手法が臨床診断の精度向上に貢献することが期待される。
 VWFの分子機能を詳細に解析するため、2種類のタグ(HA、V5)を付加したVWF(VWF-HA、VWF-V5)をそれぞれ発現するノックインマウス2系統を作製した。VWFは血管内皮細胞および巨核球/血小板で発現することが知られているが、発現細胞の違いによる分子機能の違いについては、これまで十分に検討されていない。そこで、産生細胞の異なるVWFを識別可能な解析系を構築し、発現細胞ごとの機能的差異について解析を進めた。また、ヒト妊娠期、特に後期にVWF抗原量が顕著に増加することや、胎盤における特徴的な発現が知られているものの、その分子メカニズムや生理的意義は未解明の部分が多い。この現象の解明を目指し、マウスモデルを用いた解析を進行中である。

静脈血栓塞栓症および血栓性素因に関する研究
 血液凝固制御因子の活性低下は静脈血栓塞栓症などの発症要因となるため、その発現調節機構の理解は極めて重要である。我々は、血液凝固制御因子の一つであるプロテインS(PS)の遺伝子発現が、イントロン1によって複雑に制御される可能性を、培養細胞およびマウスを用いた解析により明らかにしてきた。今年度の研究では、イントロン1の影響が臓器ごとに異なることを発見し、イントロン1欠失マウスの臓器由来細胞を単離して、イントロン1による組織特異的発現調節の解析を進めている。さらに、PROS1遺伝子のイントロン1内に存在する96塩基がORFの一部として挿入された新規PSバリアント(PS-long)をコードするmRNAがヒト肝臓組織に存在することを発見した。これまで、PROS1の新たなスプライシングバリアントや選択的スプライシングの制御機構に関する報告は皆無である。そこで、PS-longのスプライシング制御機構の解明を目的とし、解析を進めている。
 PSおよびプロテインC(PC)欠損症は先天性血栓性素因であり、そのスクリーニング検査として、抗原量および活性の測定が重要となる。現在のPSおよびPC活性測定法は、フィブリンやトロンビンの生成量から活性を算出する方法が主流であり、解決すべき問題を含む。そこで我々は、PSおよびPCの活性測定に適した凝固第V因子(FV)改変体を作製し、活性化PCおよびPSによるFV改変体の切断を定量し、活性を算出する新たな測定法を構築した。今年度は、これまでの研究成果をまとめた論文を国際誌に投稿し、受理された。現在、本測定法の実用化に向け、企業との共同研究を進めている。また、より高感度な測定系の構築を目指し、APC切断により新たに露出する領域に対する抗体の作製を試みている。この抗体は、当該分野の基礎研究においても有用なツールとなることが期待される。

好酸球EETosisに関する研究
 好酸球は、寄生虫や細菌に対する感染防御やアレルギー性疾患の免疫応答に関与している。我々はこれまでの研究で、PMAやLPSなどの刺激により誘導される好酸球のプログラムされた細胞死(EETosis)の過程において、細胞外に放出される好酸球細胞内顆粒が時間経過とともに特異的な自家蛍光を示すことを発見した。この蛍光シグナルは、ライブ細胞および固定細胞のいずれの条件下でも観察されることを確認した。今年度の研究では、好中球の細胞死(NETosis)を抑制する2種のバニロイド化合物が、白血球培養系においてEETosisも同時に阻害することを明らかにした。さらに、EETosisにより放出された細胞内顆粒の自家蛍光シグナルの強度を測定することで、好酸球を単離することなく、これらの化合物による濃度依存的なEETosis抑制作用を定量的に評価できることを示した。現在、これらの成果をまとめた論文を執筆中であり、EETosisの制御機構の解明および新たな治療標的の探索につながることが期待される。