高血圧・肥満・糖尿病・心臓肥大などといった生活習慣病は、駆出率の保たれた心不全(HFpEF)の要因となる心筋収縮拡張障害を引き起こす。HFpEFは生命予後が悪いため、これを早期に発見・診断し、治療介入を進めることが必須である。近年、食習慣の欧米化に伴う過体重(肥満)とインスリン抵抗性を有病する子供の数が増大している。特に日本人の過体重児では、インスリン抵抗性は高血糖ではなく脂質異常症と関連しており、成人期以前からすでに心機能低下や動脈硬化を引き起こしていると報告されている。食習慣の乱れは循環器系の老化を促進するため、初期の発症素因に注目することが必要不可欠である。
心臓生理機能部では、高輝度放射光を用いた高解像度生体イメージング技術、生理機能のin vivo 計測技術および単離細胞培養方法を駆使し、冠微小血管機能および心筋収縮タンパク質機能の両面から心・血管機能を解析することにより、加齢および種々の生活習慣病に起因する心・血管機能障害の発症機序解明を目指している。その結果に基づいて、新規治療薬の効果を検討している。
また、予防・先制医療の観点から、運動や食習慣といった生活習慣の改善がどのように心・血管機能障害の発症を予防または改善するのかについて、遺伝子・タンパク質の網羅的発現解析やエピジェネティックな遺伝子発現制御に着目し、循環器疾患の予防法開発を目指している。
現在の主な研究テーマは以下の4項目である。
- 心室収縮低下および拡張障害の発症機序解明および運動による予防効果の解明
- 生活習慣病に起因する血管老化の因子および運動不耐性と遺伝子治療の基礎研究
- 循環器疾患の予防・治療をめざした生理活性ペプチドの研究
- 家族性心筋症および心不全に対する新規治療薬の開発
- 心室収縮低下および拡張障害の発症機序解明および運動による予防効果の解明
- 生活習慣病に起因する血管老化の因子および運動不耐性と遺伝子治療の基礎研究
- 循環器疾患の予防・治療をめざした生理活性ペプチドの研究
- 家族性心筋症および心不全に対する新規治療薬の開発
生活習慣病、また2型糖尿病合併症の蔓延と共に心室拡張機能障害(以下、拡張障害)、さらにはHFpEFと呼ばれる拡張不全の心不全患者が増加している。現時点でHFpEFには効果的な治療法が無いため、HFpEF発症を予防するにはその前段階である拡張障害の早期診断および治療が必要である。そこで我々は拡張障害発症機序解明による早期診断、さらに、日常的運動による発症予防および早期治療法開発を目指している(AMED 循環器疾患・糖尿病等生活習慣病対策実用化研究事業2018-2020)。
これまで本研究課題では、遺伝的背景により生活習慣病を自然発症するモデル動物を対象として用いてきた。本年度も、遺伝要因は固定し、環境要因によって生活習慣病を発症するモデルマウスの開発を行った。B6D2F1系統マウスに高脂肪食を8週間負荷すると、皮下脂肪・内臓脂肪の増加による著明な体重増加と耐糖能異常が認められた。続く8週間の後にはさらなる体重増加に加えて、心拍出量は保たれているが拡張機能が低下し始めていることが心臓ストレイン解析により観察された。このモデルマウスに対して、最初の8週間の高脂肪食負荷期間後から普通食・低強度運動トレーニング(週5回)による生活習慣への介入を行ったところ、体重・耐糖能・心筋拡張機能すべてにおいて改善が認められた。このときの心臓組織サンプルを用いてRNA-Seq解析を行い、生活習慣の変化によって発現変動する遺伝子について、現在解析を進めており、拡張障害発症の超初期に関わる因子を探索中である。現在、高輝度放射光を用いた心筋散乱解析およびタンパク質発現定量解析により、生活習慣病の重要因子として細胞骨格の脱チロシン化また細胞骨格・筋フィラメントタンパク質のアセチル化が心筋細胞レベルで拡張障害を及ぼしていることが明らかになった。
また、サルコメアタンパク質の修飾におけるヒストン脱アセチル化酵素の役割と、治療の標的としての可能性に注目している(ハイデルベルグ大学との共同研究)。
冠動脈性血管老化進行因子の生理的基盤、および、内皮細胞および平滑筋細胞における炎症・酸化ストレスによる機能・形態変化への非血管細胞の役割解明について研究を行っている。GKラット、生活習慣病モデル(ZFDM)、C57Bl6 hybridマウス、老化促進モデル(SAMP8/TaSlc)および対照マウス(SAMR1/TaSlc)を用いて慢性高脂肪飼料による循環器系老化促進を再現し、in vivoで心機能および冠微小血管に及ぼす変化を検討している。近年では、生活習慣病モデル(ZFDM)を用いて座りがちなラットと運動トレーニングを受けたラットの運動時の骨格筋血流調節を調べた(文部科学研究費補助金)。ZFDMラットモデルにおいて、筋収縮に対する血管および血流応答を維持するための内皮依存性血管拡張メカニズムのうち、KCaチャネルの寄与が運動トレーニングによって増加することを明らかにした(J Physiol 600(12):2919-2938,2022)。以前の報告、糖尿病は、冠血管機能障害や冠血管リモデリングを誘発し、心筋灌流を次第に低下させ、心機能障害や心不全を引き起こす機序を明らかにした(Clinical Science 135:327-346, 2021)。その延長線上に、GKラットにおいて心筋灌流低下および左心室収縮異常に寄与するPKC/Rhoキナゼーまた、iNOS誘発による障害メカニズムを解明している(論文執筆中)。また、本年度の新規課題でImperial Collegeとの共同研究において遺伝子治療が血管新生シグナル伝達経路を標的とすることによって糖尿病性冠微小血管密度減少また心筋収縮拡張機能障害の発症を予防できるかどうかを明らかにしている。m6A触媒酵素であるメチルトランスフェラーゼ様3(METTL3) は内皮細胞においてm6A‐RNAのメチル化とマイクロRNA(miRNA)の制御を介して血管新生と内皮細胞の機能を制御する。若いdb/dbマウス(Leptin受容体の突然変異)を用いてMETTL3遺伝子導入の糖尿病性心筋症に対する治療効果を検討し始めた。METTL3遺伝子導入によって心筋収縮機能の変化が見られなかったが、高輝度放射光冠微小血管造影法のin vivo評価により心臓の細動脈灌流がnull遺伝子導入より大きく維持していると考えられる。次に重症になったdb/dbマウスにも予防効果を調べる予定である。
生体内に元来存在する生理活性ペプチドの外因性投与が循環器疾患や、糖尿病などの生活習慣病に対して予防・治療的な効果を示すものがあることがわかってきた。我々は放射光微小血管イメージングなどの研究手法を用いて、心臓をはじめとした生体臓器内微小血管に対する様々な生理活性ペプチドの効果を調べている。また、新規生理活性ペプチドに着目した循環器疾患の成因に関する基盤的研究も推進している。これまでに、ラットへの中枢投与により心拍数を増加させるNeuromedin U precursor-related peptide(NURP)を新たに同定しているが、受容体を含めた作用機序が不明なために、これまで本ペプチドの生理機能の考察が困難であった。そこで本年度は、NURPの受容体分子の探索を試みた。多くの生理活性ペプチドはGタンパク質共役型受容体(GPCR)を介して機能することから、リガンドが不明な94種類のオーファンGPCRを対象としてNURPにより活性化される受容体を検索したところ、GPR-X(仮称)のみが有意に活性化されることが判明した。この検索では共役するGタンパク質を問わないアッセイ系を使用したため、各種レポータ遺伝子を用いてNURPによるGPR-Xの活性化及びその下流シグナルを検証したところ、GPR-XはGiタンパク質に共役しておりNURPにより濃度依存的に活性化されることが明らかとなり、GPR-XがNURPの有力な受容体候補であることが示唆された。
高齢化に加えて高血圧・肥満・糖尿病などの様々なリスク因子が重なることにより病態が多様化・複雑化している心不全や難治性心筋症に対して、より効果的な新しい治療薬の開発を企業との共同研究により目指している。様々な心不全モデル、心筋症モデル動物を用いて、新規化合物による治療効果を検証していくと共に、心不全病態の増悪に寄与する酸化ストレスやミトコンドリア機能障害にも着目して、新しい心不全治療薬の開発に貢献する。その一つとして、心不全に対しての細胞内Ca2+ 濃度の過剰上昇に関わるメカノセンサーチャネルの1つTRPV2を標的とした阻害剤、阻害抗体の機能解析を行うと共に企業への導出を進めている。さらに、肺高血圧症の治療薬候補の調査を継続している。また別のアプローチとして、心不全患者に対する強心剤としても利用されるユビキノン(別名:コエンザイムQ)の新たな制御機構を明らかにすることで、新たなアプローチからの心不全治療薬の開発を目指している。これまでに機能未知のユビキノン結合タンパク質のノックアウトマウスを作製・解析することで、未知の細胞内ユビキノン調節機構の存在を見出している。複数の研究助成(科学技術振興機構 ACT-X、文部科学研究費補助金 研究活動スタート支援、武田科学振興財団、持田記念医学薬学振興財団、難病医学研究財団)のサポートの基、更なる詳細な解析を進めている。また本年度は肥大型心筋症の治療を目指して責任遺伝子MYBPC3の切断変異欠損マウス・ラットを作成し、心血管機能評価を行った。両方のモデルにおいて左心室肥大とともに局所的な収縮亢進を示すこと、肥大心のβ-アドレナリン感受性の増強とMLC-2リン酸化低下と相関する顕著な拡張機能不全を来すことを明らかにした。我々開発したMybpc3変異遺伝子モデル動物を利用して株式会社Cardurion Pharmaceuticalsと共同研究契約により新規治療薬に対する単離心筋細胞評価を立ち上げた。