細胞間情報伝達は、生体を精巧に制御するための最も基本的なメカニズムであり、循環調節をはじめとする生体のホメオスタシスの維持に重要な役割を果している。生化学部では、細胞間情報伝達を担う生理活性物質の中でも特にペプチド性因子に着目して新規因子の探索を行い、それによる未知の情報伝達および生体制御機構の解明に取り組んでいる。新規ペプチドの同定は容易ではないが、その発見は非常に大きなインパクトを与えるだけでなく、全く異なった視点での研究展開をもたらす。実際、我々のグループによる心房性ナトリウム利尿ペプチド(ANP)(1984年)や脳性ナトリウム利尿ペプチド(BNP)(1988年)の発見によって、それまでポンプとしてのみ機能すると考えられていた心臓が、ホルモンを分泌する内分泌器官として位置付けられた。また、脳から発見したC型ナトリウム利尿ペプチド(CNP)(1990年)が血管内皮細胞から分泌されるため、血管壁もペプチドホルモンを分泌する内分泌組織として捉えられた。一方で、これらの生理活性ペプチドの発見を基盤とした臨床応用研究も推進しており、その成果として、ANPとBNPは、それぞれ心不全の治療および診断薬として臨床応用されている。このように新しい生理活性物質の発見は、それまで考えも及ばなかった制御系の存在を明示すると共に、新しい診断・治療薬の開発に繋がることも期待できる。
上記のような研究の経緯を背景として、生化学部では新規生理活性ペプチドの探索による循環調節因子の発見を優先課題としており、そのための新しい活性測定法や精製手技からなる探索法や構造解析法の開発を行っている。その結果として、グレリンの発見(1999年)やオーファン受容体GPR66(FM3)の内因性リガンドとしてのニューロメジンUの同定(2000年)、さらにニューロメジンSの発見(2005年)や新規ペプチドNeuromedin U precursor-related peptide(NURP)の発見(2017年)等に繋げた。また近年では、循環器疾患の基盤となる肥満・糖尿病およびその関連疾患の理解と制御を目的として、肥満・エネルギー代謝調節に関与する未知のペプチド性生理活性物質の探索も実施している。
生化学部で発見したペプチドについては、遺伝子発現および分泌調節、作用機序や新たな生理機能の解明等の基礎的研究を進めると共に、当センター研究所、病院およびセンター外の研究グループと連携して、病態生理的意義の解明や新しい診断、治療薬としての臨床応用を目指した研究も進めている。
一方、上記ペプチド性因子に関する研究のみならず、当研究グループで発見した骨形成タンパク質(BMP-3b)等についても、新たな機能解析や病態生理的意義の解明に関しての研究を進めている。
○生化学部では、新規物質を基盤として、具体的には主に以下のテーマの研究を行っている。
- ナトリウム利尿ペプチド・ファミリー(ANP, BNP, CNP)の新たな機能解明
- ニューロメジンUとニューロメジンSに関する新たな研究
- グレリン(Ghrelin)に関する研究
- Bone morphogenetic protein-3bの新たな機能に関する研究
- 新しい活性検出法を用いた新規生理活性ペプチドの探索に関する研究
- ナトリウム利尿ペプチド・ファミリー(ANP, BNP, CNP)に関する研究
- 3種のナトリウム利尿ペプチド(NP)のうち、ANPとBNPは心臓で産生・分泌され、主に循環ホルモンとして機能する。ANPとBNPの共通受容体であるGuanylyl cyclase-A(GC-A)は心臓にも発現しており、ANPとBNPはオートクリン・パラクリン因子としても機能している。
- CNPは主には血管内皮細胞等で産生・作用する血管作動性ペプチドで、循環ホルモンANP/BNPとは異なり局所因子として、CNP特異的受容体Guanylyl cyclase-Bを介して作用する。最近、炎症細胞、線維芽細胞に対する役割として抗炎症・抗線維化作用も注目されている。
- ニューロメジンUとニューロメジンSに関する新たな研究
- ニューロメジンU(NMU)とニューロメジンS(NMS)は、当研究室で発見した神経ペプチドであり、同一の活性部位を有するため共通の受容体(1型および2型)を介して機能する。これまでに、NMUとNMSの代表的な機能として、中枢性摂食・エネルギー代謝調節やサーカディアンリズムの形成、血圧・心拍数増加による循環調節、中枢性体温調節等を示した。中枢においてNMSとNMUは同様の作用を誘発するが、興味深いことにNMSの活性はNMUに比して約10倍強力であった。また近年では、NMU/NMS受容体の選択的アゴニストを開発するとともに、NMU前駆体タンパク質からもう一つの生理活性ペプチドとして強力なプロラクチン分泌促進活性を持つNMU precursor-related peptideが産生されることを明らかにした。
- グレリン(Ghrelin)に関する研究
- グレリンは、主に胃底腺のX/A like cellから分泌され、胃から分泌されたグレリンによる摂食シグナルは、胃周辺の迷走神経末端から、迷走神経節および孤束核に到達し、孤束核から視床下部へはノルアドレナリン神経系を介して視床下部に伝達されることを明らかにした。また、グレリン投与は、急性心筋梗塞モデルラットの交感神経活動を抑制して急性期死亡を減少させるため、虚血性心疾患におけるグレリンの有用性が示された。
- グレリンや受容体の構造と分子進化、また活性とそれらの関連を明らかにするため、鳥類、爬虫類、両生類、魚類等の非哺乳脊椎動物を材料に研究を進めている。これまで、軟骨魚類や真骨魚類、両生類が哺乳類にはないユニークな構造をもつこと、またグレリンが哺乳類のみならず非哺乳脊椎動物でも下垂体から成長ホルモン分泌促進、あるいは摂食、消化管運動を調節すること等、グレリンの分子進化や構造、活性について特異かつ重要な知見を得ている。
- Bone morphogenetic protein-3bの新たな機能に関する研究
- Bone morphogenetic protein-3b (BMP-3b)は、我々が骨組織より1996年に同定したタンパク質である。BMP-3bは、構造上BMPファミリーに属するが、他のBMPファミリーとは異なる独自の作用を有している。例えば、Smad2/3系を介した骨形成抑制作用や脂肪細胞分化抑制作用等である。BMP-3bは、循環調節に重要な部位に存在しており、これら組織における新たな機能解明を目指した研究を推進している。
- 新しい活性検出法の構築と新規生理活性ペプチドの探索に関する研究
- 生理活性ペプチドは、それぞれ特異的な受容体を介して細胞に情報を伝達しており、受容体の多くはGタンパク質共役型受容体(GPCR)である。従前より、リガンドが不明なため機能が知られてないGPCR遺伝子(オーファンGPCR)は数多く存在し、内因性リガンド探索による新規ペプチドの同定が期待されている。これまでに、生化学部ではこの手法を用いて、グレリンやニューロメジンU、ニューロメジンSを単離・同定している。現在でも新たな活性検出法を導入し、未知のペプチド探索を進めている。
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