心臓生理機能部
研究活動の概要

循環と呼吸・代謝機能の神経・体液性調節機構に関する生理学的研究を、分子から個体レベルまで多角的かつ統合的視点で行っている。その基礎研究を基に、循環器病における神経・体液性調節破綻の機序及びその意義を主にin vivo実験を通して解明し、そこをターゲットとする的確な治療法・診断法の開発を進めている。 現在の研究テーマは以下の1)~3)の3項目である。

1)循環器病の神経・体液性機序の解明とそれに基づく治療法開発

神経因子並びにペプチドを中心とした液性因子が、虚血性心・脳疾患、高血圧、糖尿病などの生活習慣病において、どのように循環・呼吸・代謝障害の病態に関わるかを主に小動物疾患モデルで調べている。また、その基礎研究を基に、生体機能を改善する仕組みを究明している。研究には、以下の独自で開発した研究法(①~③)を用いている。

①覚醒・自由行動下小動物の循環、呼吸・代謝、神経機能のモニタリング法:

覚醒・自由行動下ラットにおいて腎臓及び腰部交感神経活動及び血圧、血流などの血行動態指標を1ヶ月間慢性記録する技術を用いて、高血圧や心不全進行における神経性調節の役割を調べている。また、最近、レーザー血流計と光ファイバー型血流プローブの慢性的埋め込み法を応用した自由行動下ラット・マウスでの心筋組織血流計測法も開発した。遺伝子改変マウスの血圧・心拍数、一回換気量・呼吸数、酸素摂取量・二酸化炭素排出量、体温などを覚醒下で記録・解析するシステムを構築し、循環と呼吸・代謝の協調に関する分子機構を統合的に研究している。

②自律神経機能および心筋障害を計測するためのマイクロダイアリシス法:

自律神経による循環器系調節機構の解明を目指し、マイクロダイアリシス法を用い、自律神経の伝達物質であるノルエピネフリン・アセチルコリンを生体内で直接モニターしている。心筋間質のノルエピネフリン・アセチルコリン濃度は、心臓局所における交感・副交感神経終末からのノルエピネフリン・アセチルコリン分泌の指標となる。また、心筋間質のミオグロブン濃度は心筋細胞障害の指標となる。副腎髄質マイクロダイアリシス法により同時測定された副腎間質のアセチルコリン・カテコラミン濃度は、節前の副腎交感神経からのアセチルコリン分泌、節後のクロマフィン細胞からのカテコラミンン分泌の指標となり、交感神経節伝達の研究に有用である。

③SPring-8高輝度放射光X線による心筋収縮タンパク質動態及び微小血管ネットワーク機能のin vivo画像解析法:

心臓に固有な収縮・拡張機構とその障害の根本的原因の解明を目指し、放射光X線回折法による心筋収縮タンパク質分子動態のナノレベル画像解析法と心室圧-容積関係計測によるマクロレベル心臓機能解析法を麻酔下ラット拍動心臓に同時に応用する画期的な実験システムを、世界に先駆け構築した。これによって心機能は、分子と器官の両面から、収縮・拡張の全心周期に渡り実時間で解析可能となった。心筋梗塞や心肥大モデル動物では、心臓局所ごとの収縮タンパク質機能障害の程度がピンポイント(0.2 mm径X線マイクロビームの照射)で評価できる。

独自のX線テレビシステムを麻酔下動物に応用した血管ネットワーク造影術を用いて、脳、腎、骨格筋などの臓器実質内の血管樹における血管運動・血流分配の可視化を行い、臓器循環調節の生理及び病態生理的機構を解析している。最近は、放射光高速微小血管造影法によって、高心拍数で拍動しているラット、マウスの心・肺の微小血管応答が観察可能となった。種々病態下の血管内皮・平滑筋機能や血管新生の評価ができる。

2)生体ガスによる非侵襲的診断法の開発と臨床応用

呼気ガスと皮膚ガスの基礎および臨床診断法を開発し、臨床応用へと実用化する。また、生体内活性酸素の非侵襲的検査法を開発し、循環器疾患診断法へと応用する。

3)循環器疾患関連タンパク質の構造生理的研究

X線結晶構造解析法を用いて循環器疾患関連タンパク質の立体構造決定を行っている。組替DNAによるタンパク質大量調製、結晶化、大型放射光SPring-8での回折実験、立体構造モデルの構築まで一貫して取り組み、循環器疾患関連分子のサブナノレベル分解能での構造活性相関の理解と将来の創薬への基盤作りを目指している。

2012年の主な研究成果

1)循環器病の神経・体液性機序の解明とそれに基づく治療法開発

①高血圧発症の神経性機序に関する研究: 

a. 高血圧発症と腎臓交感神経活動の関係

教科書的には、腎交感神経活動の亢進は高血圧を引き起こすとされている。そこで、この説を検証するため、自由行動下の腎性高血圧モデルラットおよび脳卒中易発症高血圧自然発症ラットにおいて、高血圧発症時の腎交感神経活動を1ヶ月間連続記録した。その結果、血圧と腎交感神経活動には有意な比例関係はなく、昇圧の程度が増すにつれて神経活動は低下する傾向が見られた。高血圧発症時の腎臓交感神経活動の役割について、これまでの概念にとらわれることなく、さらなる研究が必要と考えられた。

b. 高血圧時の迷走神経活動異常

高血圧時の心臓迷走神経活動の制御機構については不明な点が多い。高血圧自然発症ラット(SHR)に心臓マイクロダイアリシス法を応用し、α2アドレナリン受容体のアゴニストmedetomidineの中枢作用による心臓アセチルコリン分泌応答を調べた。その結果、対照(WKY)と比較して、応答が低下していることが分かった。SHRとWKYの頚部迷走神経電気刺激のアセチルコリン分泌能に差がなかったことから、高血圧では中枢性迷走神経活動制御機構に異常が起こることが示唆された。

②心・血管病の神経・体液性病態とその改善法に関する研究:

a. 早期糖尿病での冠動脈障害の検出

糖尿病の早期においては、心臓のポンプ機能や冠動脈の血流に異常は見つからないが、冠動脈の血管内皮由来拡張物質の産生を薬剤で低下させると、冠動脈が枝分かれする血管分岐部周辺に局所的な異常血管攣縮(スパスム)が生じることを、早期糖尿病モデルラットの放射光微小冠動脈造影で初めて明らかにした。糖尿病性冠動脈機能障害の病態解明や早期治療法開発に貢献する画期的な発見と考えられる。

b. DCMにおける迷走神経機能障害とグレリン注射の効果

心臓マイクロダアリシス法を用いて、α2アゴニストmedetomidineの中枢作用は、心臓迷走神経からのアセチルコリン分泌を亢進させるが、胃迷走神経には影響しないことを明らかにした。その上で、この方法を拡張型心筋症(DCM)モデルマウスに応用し、DCMマウスでは、心臓迷走神経からのアセチルコリン分泌が低下していることを明らかにした。また、DCMマウスにおいて、グレリン皮下注射の心臓自律神経作用と抗心臓リモデリング・抗不整脈作用、および生存率改善作用を調べた。その結果、グレリンは心臓迷走神経活動を増大、心臓交感神経活動を低下させ、リモデリングと不整脈死を抑制し、生存率を大幅に改善することが分かった。

c. HCMモデルマウスの新たな開発

心筋トロポニンT遺伝子の突然変異の一つで、ヒトで重篤な肥大型心筋症(HCM)を引き起こすミスセンスS179Fを導入したノックインマウスの作製に成功した。このマウスでは、突然死発生、心臓奇形、心臓肥大などが観察された。ヒトのHCMの病態機構の解明、並びに突然死の予防・治療法の開発に有用と考えられた。

d. カルパインの心筋障害作用

カルパインの心臓虚血再灌流時の心筋細胞障害作用を、心臓マイクロダイアリス法をラット心臓虚血モデルに応用して調べた。カルパイン阻害剤は、短時間虚血後の再灌流時のミオグロビン放出を抑制したが、虚血中および長時間虚血後の再灌流時の放出は抑制しなかった。カルパインは、短時間虚血後の再灌流時の心筋障害に関与するものと考えられた。

e. 心臓での5-HT分泌機構とその役割

心筋間質セロトニン(5-HT)の心虚血や心肥大における役割の解明を目指して、心臓マイクロダイアリシス法で、虚血部心筋間質の5-HTとその代謝産物5-HIAAを同時モニタリングすることで、心虚血・再灌流時の虚血部5-HTの分泌、代謝を含めた動態を詳しく解明した。

f. 体外循環時の炎症反応と臓器障害

体外循環は心臓手術および心肺補助には欠かせないが、炎症反応を惹起して種々の合併症を引き起こすことが知られている。hydroxyl radicalの消去剤とされている水素がこの炎症に効果があるかを当部が開発したラット体外循環モデルで調べた。その結果、水素は顕著な抗炎症・抗臓器障害作用を有することが分かった。

③運動時の循環・呼吸・代謝調節、並びに運動の糖尿病性血管障害に対する効果に関する研究: 

a. 運動開始時の心拍数と心筋血流の神経性調節

これまで、運動開始時には中枢性フィードフォワード制御による素早い心臓交感神経活動の亢進が心拍数や血圧を増加させ,全身循環を制御している事を明らかにしてきた。今回、運動開始時の心拍数増大でのβ1アドレナリン受容体の役割を、β1受容体KOマウスを用いて調べた。その結果、運動開始時の心拍数増大は、主にβ1受容体を介して起こり、従来説である心臓迷走神経活動抑制の関与は小さいことが分かった。また、運動開始時の心臓交感神経活動増加が心筋血流量の制御に直接関与するかをラットで調べた。その結果、心臓組織血流量は中枢フィードフォワード制御により、神経性に素早く制御されることが分かった。

b. 運動時の肝血流調節

肝固有動脈血流または肝門脈血流を個別に直接計測する技術を独自に開発した。この技術を覚醒下ラットに応用して、運動時の肝循環調節を調べた。その結果、肝固有動脈血流量は運動開始初期には低下するが,その後、運動強度依存性に増加することが分かった。従来、運動時に肝血流は低下すると報告されているが、今後、さらなる研究が必要である。

c. マウス自発運動時の循環・呼吸・代謝調節の統合的研究

遺伝子改変マウスでは覚醒下の呼吸・代謝調節についての報告は少なく、とりわけ自発運動時の呼吸変化を測定することは困難であった。そこで、マウス用半密閉・低容積ランニングホイールチャンバーを新規開発し、Whole-Bodyプレチスモグラフと高感度O2-CO2測定装置による呼吸・代謝測定、さらに埋め込み型テレメトリー送信器による心拍数・体温測定との同時記録システムを構築した。マウス自発走運動時の一回換気量(VT)・呼吸回数(Vf)・代謝(酸素消費量、二酸化炭素排出量)などの変化を、血圧・心拍の変動と同時に測定することに成功し、循環・呼吸・代謝の運動時機能協調の分子機構の研究が可能となった。

d. 糖尿病性血管障害に対する運動効果

1型糖尿病モデルマウスにおける下肢動脈機能障害とそれに対する運動トレーニング効果を、X線血管造影法と超音波血流測定を用いてin vivoで機能評価した。糖尿病により下肢動脈の太い血管から細い血管まで内皮機能が障害されたが、運動トレーニングは主に細動脈レベルの機能障害を改善することが分かった。

2)生体ガスによる非侵襲的診断法の開発と臨床応用

①ヒト生体内における活性酸素種計測法の開発

a. 生体ガスによる活性酸素種の間接的計測法の開発

ヒト生体内活性酸素種の計測法は全く未開拓の領域である。水素分子がヒドロキシラジカルと反応に水を生成することを応用し、水素水飲用ならびに低濃度水素ガス吸入によるヒト生体内の間接的活性酸素推定法を評価した。いずれの方法においても生体内水素消費量は1μmol/min/m2であった。

b. 皮膚ガス中活性酸素種の直接検出法の開発

簡便かつ安全な高感度ラジカル検出法としてレーザーを用いた方法により、皮膚ガス中におけるヒドロキシルラジカル(OH・)検知法の開発に成功した。このシステムを用い、皮膚近傍では大気中OH・の1桁オーダー以上の濃度で存在することを発見し、OH・が皮膚表面から放出されることを明らかにした。現在、OH・放出機序を探索している。

②腸内醗酵ガス成分の役割

a. 腸内醗酵ガスによる抗酸化ストレス作用の解明

すでにターメリックなどの健康食品が呼気水素を上昇させることを報告しているが。牛乳摂取による嫌気性腸内醗酵により生体内水素濃度が劇的に上昇し、この水素分子が抗酸化力をもつことを証明した。これらの研究成果から腸内醗酵を促進させる水素産生食品群にも抗酸化力があり、慢性長期的な生活習慣病ならびに循環器病の発症に関連する可能性があるとの仮説に到達し、水素発生を促進させる新規食品群の概念に到達した。本年度は大豆や玄米に含まれる食物繊維摂取に伴う水素発生と抗酸化能の関連についての実証研究に着手した。

一酸化窒素、一酸化炭素、硫化水素などの低分子ガス分子は循環制御に重要な役割を果たすことは確立しているが、これらのガスは腸内嫌気性醗酵で大量に生成される。腸内醗酵に伴うガス成分の役割をより明確にするため糞便から放出されるガス評価法を検討し、呼気や皮膚ガスとの関連を検討する方法論を確立した。

b. 腸内醗酵ガス成分の門脈循環調節

アナフィラキシーショック時には従来は門脈の前毛細血管レベルで収縮がおこるとされていたが、さらに太い血管レベルでの収縮が起こることを証明した。本研究過程で硫化水素が門脈血管を劇的に拡張することを観察し、腸内嫌気性醗酵に伴う硫化水素が門脈循環の制御因子であることが示唆された。

③呼気と皮膚ガスによる臨床診断法の開発と臨床応用

a. 生体ガスと腸内ガスの関連

嫌気性醗酵に伴う水素分子のみならず糞便ガス中に高濃度で存在する硫化水素、二酸化硫黄、一酸化炭素、一酸化窒素は循環調節にも関与する重要なガス成分である。これらは糞便中からも大量に発生し循環器疾患にも関与する可能性がある。このため糞便から放出されるガス成分の評価法を確立した。

3)循環器疾患関連タンパク質の構造生理的研究

血栓形成、止血機構の要であるトロンビンは血管損傷部で過渡的に形成されるプロトロンビナーゼFVa/FXa複合体によって産生される。このプロトロンビナーゼ複合体によるトロンビン産生の分子機構の解明を進めている。オーストラリア産コブラ科蛇毒に含まれるFVa/FXa複合体ホモログ分子に着目し、その精製結晶化を行った。回折能を有する結晶を得ることに成功し、結晶の改良および構造解析を進めている。

研究業績
  1. Murata J., Matsukawa K., Komine H. and Tsuchimochi H. Modulation of radial blood flow during Braille character discrimination task. Acta Physiol Hung 99, 25-32, 2012.
  2. Kawada T., Akiyama T., Shimizu S., Kamiya A., Uemura K., Sata Y., Shirai M. and Sugimachi M. Central vagal activation by alpha2-adrenergic stimulation is impaired in spontaneously hypertensive rats. Acta Physiologica 206, 72-79, 2012.
  3. Shimouchi A., Nose K., Shirai M. and Kondo T. Estimation of molecular hydrogen consumption in the human whole body after the ingestion of hydrogen-rich water. Adv Exp Med Biol 737, 245-50, 2012.
  4. Jenkins M. J., Edgley A. J., Sonobe T., Umetani K., Schwenke D. O., Fujii Y., Brown R. D., Kelly D. J., Shirai M. and Pearson J. T. Dynamic synchrotron imaging of diabetic rat coronary microcirculation in vivo. Arterioscler Thromb Vasc Biol 32, 370-7, 2012.
  5. Takeda S. , Takeya H. and Iwanaga S. Snake venom metalloproteinases: structure, function and relevance to the mammalian ADAM/ADAMTS family proteins. Biochim Biophys Acta 1824, 164-176, 2012.
  6. Yoshida A., Asanuma H., Sasaki H., Sanada S., Yamazaki S., Asano Y., Shinozaki Y., Mori H., Shimouchi A., Sano M., Asakura M., Minamino T., Takashima S., Sugimachi M., Mochizuki N. and Kitakaze M. H(2) mediates cardioprotection via involvements of K(ATP) channels and permeability transition pores of mitochondria in dogs. Cardiovasc Drugs Ther 26, 217-26, 2012.
  7. Higuchi K., Nakaoka Y., Shioyama W., Arita Y., Hashimoto T., Yasui T., Ikeoka K., Kuroda T., Minami T., Nishida K., Fujio Y., Yamauchi-Takihara K., Shirai M., Mochizuki N. and Komuro I. Endothelial Gab1 deletion accelerates angiotensin II-dependent vascular inflammation and atherosclerosis in apolipoprotein E knockout mice. Circ J 76, 2031-40, 2012.
  8. Shimizu S., Akiyama T., Kawada T., Sata Y., Mizuno M., Kamiya A., Shishido T., Inagaki M., Shirai M., Sano S. and Sugimachi M. Medetomidine, an alpha(2)-Adrenergic Agonist, Activates Cardiac Vagal Nerve Through Modulation of Baroreflex Control. Circulation Journal 76, 152-159, 2012.
  9. Schwenke D. O., Tokudome T., Kishimoto I., Horio T., Cragg P. A., Shirai M. and Kangawa K. One dose of ghrelin prevents the acute and sustained increase in cardiac sympathetic tone after myocardial infarction. Endocrinology 153, 2436-43, 2012.
  10. Li L., Morimoto S., Take S., Zhan D. Y., Du C. K., Wang Y. Y., Fan X. L., Yoshihara T., Takahashi-Yanaga F., Katafuchi T. and Sasaguri T. Role of brain serotonin dysfunction in the pathophysiology of congestive heart failure. J Mol Cell Cardiol 53, 760-7, 2012.
  11. Kakinuma Y., Akiyama T., Okazaki K., Arikawa M., Noguchi T. and Sato T. A non-neuronal cardiac cholinergic system plays a protective role in myocardium salvage during ischemic insults. PLoS One 7, e50761, 2012.